BASARA MAINZ

ドイツでサッカー選手として成長するために〜モラッドハジャティ貴哉〜

2021.07.24

ドイツでサッカー選手として成長するために〜モラッドハジャティ貴哉〜

初めまして!東京都杉並区出身19歳のモラッドハジャティ貴哉です。

今回は自己紹介ということで僕のサッカー人生について書いていこうと思います。

このような人生について語ることは初めてなので読みにくいとは思いますが最後まで読んで頂けると嬉しいです。

父の影響で始めたサッカー

父の影響により、サッカーを始めました。地元の小学校のチームに所属していたのですが、最初は言われるがままボール蹴っていて、あまり楽しかった思い出はありません。

しかし、小学校4年生のとき、地元のドリブルスクールに入り、サッカーに対する姿勢が変わりました。以前とは違いサッカーに熱が入りました。

ドリブルスクールに入ったことでボールを操る楽しさを覚え、それからはサッカーしている時間が心地良いものでした。

6年生へと進級してからは受験と重なりましたが、勉強を続けながらサッカーに取り組んでいました。

ほぼ毎日サッカーの後に勉強をしていたので、ストレスや不安が募っていましたが、ボールを蹴っている時間は自然とそういった気持ちは無くなっていました。

この頃によりサッカーが好きになったと感じます。

挫折を味わった中学時代

中学になり地元のクラブチームである杉並ソシオフットボールクラブに入りました。

練習は普段から厳しく、遠征も10泊11日など精神的にも身体的にも辛いものでした。

中二の夏に虫垂炎を患い入院することになります。

退院した後は体が動かず、調子が良かった時期に起きたことなので今までにない絶望を感じました。後の夏遠征に参加しましたが、案の定プレーは酷いものでした。

周りは入院や手術をしたこを知っているので同情してくれましたが、この事が自分を一層弱くなったと感じさせる様で、行き場のない悔しさや怒りがわいたのです。

もう一度以前のように最高なプレーをする為に今までにない集中力で努力を重ねた結果、中三の頃にはトップチームでプレーし続けられるようになりました。自分と向き合い努力した経験は、今の自分にも活かされていると感じます。

滝川第二高校へ進学

高校は兵庫県の滝川第二高等学校へと進学しました。

振り返れば高校生活は苦難の連続でした。

1年生の時は1.5キロ近くある学校の周りを何度も走り、激しい練習によりご飯が喉を通らないこともありました。さらに寮生活で上下関係の厳しさも経験しました。

サッカー面でもトップチームのメンバーに食い込めず、悔しい思いをしました。

2年生になると少しずつ試合に絡めるようになり、インターハイでは得点を決めることができました。

1年生で味わった悔しさをバネに努力してきたことが報われた瞬間でした。

しかし、選手権の時期に近づくにつれて調子落とし、結果的にメンバーに入ることができず、チームも予選敗退となり全国大会に出場することができませんでした。

再起をはかった3年時は、コロナ禍の影響を受け、遠征や大会、チーム練習ができない状況になり、先の見えない時期が続きました。

それでも、この時期に改めて己と向き合うことができました。

自分のプレー動画を何回も見て、不足している部分や得意な部分を改めて整理し、トレーニングも走りやステップワークなどフィジカルトレーニング中心のメニューを根気強く続けました。

6月になり、練習が再開されるとトレーニングの成果が出たのかそこからパフォーマンスが良くなりトップチームへ上がることができました。

そして、選手権の時期になり、念願のメンバー入りを果たしました。

予選が始まるとチームは順調に勝ち上がり、迎えた準決勝で後半から出場しましたが、活躍できずにチームも負けてベスト4で敗退となりました。

結果的には誇れるものではありませんし、不完全燃焼で終えたことは非常に悔しいです。

一方で積み上げて継続してきたことが今になって確かな手応えになったのは、サッカー生活で自分と向き合い続けたからこそだと感じます。
また「自分はもっとできる」「まだまだできる」という気持ちも芽生えました。

ドイツでサッカー選手として成長したい

世界的にも知られているように、ドイツはサッカー大国であり、もっとできると感じた自分の可能性や手応えがどこまで通用するのか、競争の激しい環境でいかにレベルアップできるのか、小さい頃からの夢であるチャンピオンズリーグでゴールをあげる選手になれるのか、この挑戦においてドイツは最高の舞台だと感じ、渡独を決断しました。

また昇格や上のクラブへの移籍により給料や身の周りのサポートが増えてよりサッカーに集中できます。この事もドイツでプレーする目的の一つです。

自分の成長した姿を両親見てもらいたい。ヨーロッパへ挑戦することを応援してくれ、渡独後もよく電話をくれます。

今まで手厚く支えてくれた2人には成長した自分を見せることが僕のできる恩返しです。

実際にドイツでの生活は、戸惑いの連続です。

言葉がわからないことにより、至る所で苦労します。幸い英語が通じるのである程度の意思疎通は図れますが、コミュニケーションが取れないことの苦しさを痛感しています。

しかし、いつまでも出来ることに頼るわけにはいきません。

積極的にドイツ人のコミュニティに入っていき、ドイツ語を上達させなければなりません。不安や恥ずかしさはあるかもしれませんが今は取り敢えず飛び込んでみることが必要と思っています。

今後の目標

小中高と続けてきたサッカー人生は喜びや悔しさにあふれていました。挫折やアクシデントに見舞われながらも自分と向き合い続け、失敗と成功を繰り返し成長してきた経験はこれからも必要となる重要な物であり財産と言えます。

そして僕のサッカー人生の岐路となっている今こそ己と常に向き合う時だと感じます。目的を見失わず進んでいく姿こそ、己が誇れるサッカー選手であり、そんな選手になれるよう、これからも精進したいきたと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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