BASARA MAINZ

【選手リレーブログ 大槻編】

2019.09.05

【選手リレーブログ 大槻編】

はじめまして。栃木県日光市出身、19歳の大槻俊貴です。

僕がサッカーを始めたのは小学4年生の頃です。おそらく、大抵の人より始めるのは遅かったと思います。きっかけは友達の誘いでした。小学5年の頃は試合にほとんど出られませんでした。試合に出られなかったことも悔しかったのですが、それよりも親に試合に出て頑張っている姿を見せられなかったことの方が悔しかったです。毎回早起きしてお弁当を作ってくれて応援にも来てくれていました。本当に辛かったです。

中学は今市中学校に入りました。部活動ですが、サッカー部は全国大会などに出場するレベルでした。中学では試合に多く絡むことができ、一つ上の学年の試合にも出させてもらうこともできました。3年間多くの試合に出場し、濃い経験となりました。そこから少しずつ自分のサッカーに自信を持てるようになり、高校は自分のサッカーがどのくらい通用するのか試してみたい気持ちと、選手権に出たいという気持ちが強くなり、強豪校である鹿島学園に入学し親元を離れ寮生活をしました。しかし現実は甘くなく、周りのレベルの高さに練習についていくのがやっとでした。サッカーをやめたくなる時期もありましたが、最後までやりきり多くのことを学びました。高校サッカー最後は応援という形で終えましたが、高校サッカーのおかげで大きく成長できたと思います。

卒業後は大学に進学し、柔道整復師という夢を追いかけようと思いましたが、小さい頃からお世話になっていたコーチから海外でサッカーをしないかと誘ってもらいました。最初はサッカーを続けるつもりはなく断ろうとしたのですが、こんなチャンスは滅多にないと思い海外に行くことを決心しました。覚悟を決め、アルゼンチンへ飛び立ちました。チームはアルヘンティノスという、かつてマラドーナが在籍したプロチームの1つ下のカテゴリーに入りました。日本人は僕一人ですし、言葉もわからずとても不安でした。サッカーの面では順調だったのですが、アルゼンチンは治安が非常に悪く、練習中に携帯を盗まれ、寮の中ではお金や服が盗まれることがありました。これ以上アルゼンチンでは続けられないと帰国しました。

ただ、海外挑戦を中途半端に終わりにしたくなかったので、他国でサッカーのできる環境を探していたところ、知人からバサラマインツのことを教えてもらいました。バサラの方々は監督をはじめみんなが優しく僕を迎え入れてくれました。この環境ならサッカーに集中できると思います。もちろんコミュニケーションは大切ですのでドイツ語も勉強していきたいです。これまで、親や多くの人にお世話になってきました。感謝の気持ちを忘れず覚悟を持って挑戦していきたいです。応援よろしくお願いします。

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