BASARA MAINZ

【指導者インターン】元高校教師がドイツでコーチ留学!Vol.6

2024.12.19

【指導者インターン】元高校教師がドイツでコーチ留学!Vol.6

みなさん、こんにちは!

11月のドイツは街中が赤と緑のクリスマスカラーに衣替えをはじめ、賑わいを見せていますが、北海道出身である私でも体が震える寒さが続いています。

しかし、ブログはいつも通りに暑苦しく書いていきたいと思います!

今日はコーチインターンらしく、私なりに感じたドイツと日本の育成の違いについてです!

「大人のサッカー」とは?

私がドイツに来てからの数ヶ月で感じていた疑問がありました。それは「一体、ドイツ人は何歳からこのような大人のサッカーをしているのだろう」というものでした。

そもそもサッカーとは、どのようなスポーツか。ゴールがあり、11人同士で戦い、外で行われ、G K以外は手を使えず、攻守が連続し、90分後に点数が多い方が勝つ・・・などの要素があります。これらのゲームとしての特徴(ルール)を駆使して勝つことを目的とするのがサッカーというスポーツです。

サッカーにおける原理原則に基づき、いかなるチーム戦術も個人の判断も勝つための手段と捉え、プレーすることをここでは「大人のサッカー」と表現したいと思います。反対に、負けてもいいからボールを繋ぎたい、取られてもいいからドリブルをどんどんしたいというように手段が目的化している原理原則から逸脱したサッカーのことを「子どものサッカー」とします。

ドイツに来てからは地元のマインツ05を中心にトップチームはもちろん、育成年代のリーグ戦やトレーニングを見学しています。そこで驚かされるのは、大人と小学生でも差があるのはフィジカルや技術だけで、思考は変わらずに「大人のサッカー」を常にしていることでした。つまり文頭で述べた私の疑問の答えは、そもそも「子どもサッカー」というものは存在していないということでした。

日本では、「大人のサッカー」と「子どものサッカー」が混在しているように感じます。それは日本の他国にはない良さであると同時に、課題でもあります。

日本の選手は、海外の選手と比較してもパスやドリブルに代表される技術がとにかく上手いです。これは日本の長所となっています。これは日本の育成年代において、ボールタッチを中心としたトレーニングが多いことや試合中にも技術にフォーカスを当てた指導をすることが理由だと考えられます。近年では、S N Sでも話題になるドリブル塾なるサッカースクールまであり、大変な人気となっています。

しかし、それだけでは試合に勝つこと、勝ち続けることが難しいことも事実です。日本ではルールを駆使して勝利のために手段を選ばないズル賢いプレーのことをポルトガル語を用いて「マリーシア」と表現します。海外の選手と戦い、敗れる時にはいつも「マリーシア」ができないことが敗因として挙げられていました。卓越した技術を持っていても試合で的確に発揮できなければ意味がありません。これも「大人のサッカー」と「子どものサッカー」の差とも考えられます。

「認知」の差

それではどのようにすると、試合で的確に技術を発揮できるのでしょうか。

サッカーのプレーは、「認知(分析)」→「判断」→「実行」を繰り返すとされています。試合の状況や相手の状況を認知し、自分がどのようなプレー選択をするかを判断し、シュートなのかパスなのかドリブルなのか実行する。そしてまた認知し・・・というようにサイクルしていきます。日本でももちろんこのように指導を受けますが、日本で重要視されるのは、「実行」→「判断」→「認知」の順ではないかという印象があります。まず技術的に優れていることが求められ、判断の早さが求められる。そのために周りを見て味方や相手を認知しておくことが求められる。

日本では、とにかくみんながボールに近づくいわゆる「お団子サッカー」やC Bが相手のF Wにドリブル突破を試みるプレー、相手がどのようなプレッシングに来ているか関係なくG Kから無理やり繋ぐビルドアップ、点数をリードしている終盤でもリスタートを早くプレーする・・・などが散見されます。これらは「認知」ができていないプレーといえます。

「認知」とは単に味方や相手、スペースがどこにあるかを見るだけではありません。試合において、認知すべきことはまだまだあります。試合のスコア、時間帯、相手との力関係や特徴、その日の天候、芝生の状況、審判の特徴、大会レギュレーション(延長戦の有無やリーグの得失点差など)、相手のシステムとの噛み合わせ、イエローカードをもらっている選手は誰か・・・などの細かな部分まで考慮した上で「認知」といえます。ここまで考えなければならないのです。この「認知」が不十分な中で選択する「判断」は、早い、遅い、以前に最適解ではない可能性が高いです。そのような状況で「判断」した「実行(プレー)」はどれだけ上手くても、致命的なミスにもなり得ます。

 ドイツでは、とにかく負けず嫌いな選手が多いのでトレーニングでも勝つことにこだわります。そのため勝つために必要なことを「認知」し、「判断」します。それをできない選手が怒られます。それは大人であっても子どもであっても関係ありません。つまり、幼少期から皆、手段と目的を履き違えることなく、「大人のサッカー」を何歳でもやっています。時間稼ぎやわざとにファールをもらう・するというような、いわゆる「マリーシア」は日常的であり、ボール状況によるポジショニングの変化や戦術的行動も、激しい球際も彼らには普通のことです。

自身の指導力不足に気づく

私自身、日本で指導していた時にここまで認知についてトレーニングで子どもたちに求めることはできていませんでした。練習で求めていないにも関わらず、試合になると「負けているんだから急げ」「勝っているんだからリスクを考えろ」「そんなところでファールするな」「なんでそんなところでドリブルするんだ」と突然言いはじめていました。練習で求めていないのだから、試合で選手ができないことは当たり前の話です。非常に質の低い指導に今では反省しています。恥ずかしい限りです。

日常から勝利にこだわるから、「認知」が重要になります。子どもでもやっているのは、単なる球蹴りではなく、あくまでもサッカーです。そこに変わりはありません。当然ですが、サッカーは、サッカーをすることでこそ、上手くなります。

その中で、日本人の良さである技術をどのように見つけさせていくかを考えていきたいと思っています。

NEWSLETTER

ニュースレター無料登録で最新情報をGet!