2021.06.20
日本からニュージランドを経由し、遂にヨーロッパ・ドイツでの挑戦へ!〜副島 陸〜
初めまして。ニュージーランド Lotto NRFL Premier LeagueのMelville United AFC からFCバサラマインツへ加入した副島陸と申します。
簡単ではありますが、これまでの私のフットボール人生について紹介させて頂きます。最後まで読んで頂けると幸いです。
プロフィール
いづみFC→FC東京U-15むさし→都立駒場高校→専修大学→Waikato Unicol AFC(ニュージーランド)→駒場クラブ→Melville United AFC(ニュージーランド)
目次
個人技を磨いた小学生時代
私が本格的にフットボールを始めたのは小学校から。地元の東京都の西東京市に本拠地を置くいづみFCでプレーを始めました。
チームのモットーは至ってシンプルで、基礎技術を身に付け、個人技で局面を打開出来る選手になること。
当時はボールを蹴ることが本当に楽しくて、練習が無い日も毎日近所の公園へ行ってはボールを蹴っていました。
チームの練習がある時は練習前、そして練習後にネットに向かってボールを蹴り続けていた覚えがあります。
自分の最大のストロングポイントである左右のキックは、この時期に培われたと自信を持って言えます。
その甲斐あってか、個人技に加えて徐々に左右のキック、シュートも自分の得意なプレーになっていき、プレースタイルが少しずつ確立していきました。
セレクションに合格し、FC東京U-15むさしへ!
中学になる段階で、FC東京の下部組織のセレクションに合格し、幸運にもJクラブの下部組織でプレーすることとなりました。
しかし、小学5年生の終わり頃からオスグッド、腰椎分離症などの怪我に悩まされ始め、中学でもプレーできない時期が少しずつ増えました。
もともと小学生時代はドリブルで相手を剥がしたり、スピードで相手を振り切るプレーが得意でしたが、怪我に見舞われてからスピードは極限まで落ち、それまでのようなボールタッチ、走りが出来なくなっていきました。
また、特にこの時期身長が急激に伸びたことにより身体のバランスが悪くなり、疲労骨折も計5回経験し、3年間の内の半分はプレー出来ずに終わりました。
しかし、同時にこの時期に成長したこともあり、特にフットボールを観る目が肥えました。
怪我をし、外から試合を見る機会が増えたことで戦術理解、試合の流れ、ポジショニングなどの細部に注目出来るようになったからです。
また、もともと幼少期から読書が好きだったことからフットボールに関する本をはじめとする多くの本に触れたことも、観察力、そしてメンタル面での成長に大きく寄与したと感じています。
都立駒場高校へ進学
怪我からの復活を期して入学した都立駒場高校。中学時代の先輩が毎年入学していたことや、両親の勧めもあり駒場高校に入学しました。
駒場でのフットボールを一言で表すとすると、とにかく走りまくった3年間、そして、「後悔」今振り返るとこの言葉が最も相応しいと思います。
1年生の時期はフットボール以外で苦労することが多く、またチームもなかなか勝てず、公式戦初勝利をあげたのが選手権予選の9月に入ってからで、勝つことの難しさを含め多くを学んだ1年間でした。
2年生になると、1年生の時とは違い試合にも少しずつ絡めるようになっていき、徐々に高校サッカーのリズムにも慣れていきました。
この年のチームは駒場のスタイルである ”走れ・競れ・粘れ” が非常によく体現でき、結果もある程度ついてきた年でした。
春の関東大会で都立勢としては初の優勝、インターハイ予選東京都3位、選手権ベスト8。
途中出場が多く、中心選手としてシーズンを通じて活躍したというわけではないものの、ほぼ毎試合公式戦に絡む中で自分の役割を理解し、チームの為に全力を尽くすことを学びました。
そして高校生活最後の年。自分は10番を任され、中心選手としてプレーさせてもらいましたが、目に見える結果が出せませんでした。
前年の春の関東大会覇者として臨んだ関東予選、東京都予選で早々に敗退。インターハイ予選も都一次予選で敗れ、最後の選手権も都予選準々決勝で0-5の大敗。
試合後のミーティングで先生から言われた言葉が全てを物語っていました。
「お前らの3年間を象徴する試合だった。」
大事な試合で結果が出せなかった。なぜか?前年のような厳しさが足りてなかった。仲良し集団で終わっていた。これに尽きると今では感じています。
ダッシュ、朝走り、コーンドリル、挙げればキリが無いですが、少なくとも1つ言えることは、チームとしてもっとやれたはずだということ。必ずこの経験を次に活かす、引退後そう決意しました。
日本を離れ、ニュージーランドで一念発起
受験が終わり、大学に入学してみると、そこには今までにないほどモチベーションの低い自分がいました。
そしてその中で出した答えが、一度フットボールから離れ、海外留学に向けて本気で準備するということ。
大学入学当初から勉強面で英語学習に本腰を入れ始め、多くの外国人講師の講義を受けていく中で海外留学というイメージが膨らんでいました。
受験での挫折をここで取り返す。そう決心し、大学の勉強、そして英語の勉強に本気で取り組みました。
結果、大学長期交換留学プログラムでは最難関のニュージーランドの大学へ、15年ぶりに長期交換留学生として留学することが決定。
1年間のブランクを経て大学3年次、ニュージーランドにてプレーを再開し、当時所属していたWaikato Unicol AFCのプレーヤーとして、Waibop Footballリーグ年間最優秀選手賞と得点王を獲得。
帰国後の大学4年次は高校時代のOBチームである東京都社会人リーグの駒場クラブでプレーし、大学卒業を待たずに再びニュージーランドへと渡り、昨シーズンはニュージーランドLotto NRFL Premier Leagueに所属するMelville United AFCでプレーしました。
ニュージーランドのフットボールシステムは特殊で、National League、そしてRegional Leagueと2つのリーグが存在し、National Leagueが実質1部リーグだと言われています。参戦チームは10チーム程で、ニュージーランドで有名なAuckland City FC はこのリーグに所属しています。
そして私が昨シーズンプレーしたMelville United AFCはLotto NRFL Premier League(2021年現在)に所属しており、このリーグがニュージーランド国内実質2部リーグと言われています。
しかし、長年ニュージーランドでプレーするチームメイトや関係者の話を聞くとこのLotto NRFL Premier Leagueの方がより競争率が高くレベルが高いという意見もあり、リーグのレベル自体はそこまで変わらないようです。
それでも注目度で言うとスポンサーの数や全国で毎試合テレビ中継される点で、National Leagueがニュージーランド1部リーグと呼ばれることに納得出来るかなと思います。
そして私が昨シーズンMelville United AFCでプレーする大きなきっかけとなったのは、学生時代に留学していた際に所属していたチームの監督、そしてチームメイトがシーズン始動当初の監督やチーム関係者とコネクションがあったからです。
彼らのサポートを借り、自ら監督とコンタクトを取り、自分のプレー映像や履歴書を送る形でチームの練習参加に漕ぎ着け、最終的に契約する形となりました。
しかし、コロナウイルスの影響でカップ戦が中止、リーグ戦も多くはこなせなかったものの、このような難しい状況の中で過ごした時間、そしてニュージーランド国内でもトップレベルの選手と共にプレー出来た経験は非常に貴重でした。
チームには各国代表の選手や世代別代表として国際大会を経験した選手も在籍しており、普段のトレーニングや生活から彼らの経験を生で聞き、そこから多くを学べたことは素晴らしい経験でした。
また、昨シーズンのチームメイトの内の1人は今シーズンからプロとしてのキャリアをスタートするなど、彼らは今でも私に良い影響を与えてくれています。
念願のヨーロッパでの挑戦へ
昨シーズン終盤に差し掛かり翌シーズンのチームを探していた際に、バサラマインツの山下さんにコンタクトを取ったことがきっかけでした。
当時もMelville United AFCでプレーするきっかけとなった同様の方法でプレー映像、そして履歴書を送る形で練習参加させて頂きました。
もともとニュージーランドへ渡った当初から、ニュージーランドをステップアップの場とし、その後ヨーロッパでプレーするという目標を立てていました。
もともと幼少期からヨーロッパのフットボールを見ることが好きで、幼少期からアーセナルのファンであることから特にプレミアリーグやチャンピオンズリーグは今でも毎試合追っています。
コロナ禍で非常に難しい時期ではありますが、ニュージーランドからドイツへの移籍を実現させて頂いた山下さん、そしてそれをサポートしてくれた両親にはとても感謝しています。
誇ってもらえるようなサッカー選手になる
中学時代の挫折、高校時代に現実を目の当たりにし、大学時代、フットボール以外での新たなスキルを身に付け、留学、海外生活、そして海外でのプレー経験を経て現在に至るまでの約10年、今振り返っても非常に充実していたなと思います。
特にこの数年間で得た経験は誰よりも濃いものだったという自負があり、本当に人生何があるか分からないなとつくづく思います。
だからこそ、今を一生懸命生きていきたい。そう思います。
自分は身体能力で恵まれていない分、頭で勝負してきました。壁にぶち当たり、挫折する度に常に考え、周りのサポートにも恵まれながらも行動に移してこれました。
そんな自分のことを今でも応援してくれる人たちを喜ばせたい。自分のことを堂々と誇ってもらえるプレーヤーになりたい。これが今の率直な思いです。
残された時間は多くはないですが、全力で、結果にこだわってやっていきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。