BASARA MAINZ

新加入選手自己紹介ブログ 澤選手編

2020.02.20

新加入選手自己紹介ブログ 澤選手編

はじめまして澤直哉です。今日は僕のサッカー人生について書いていこうと思います。
僕がサッカーを始めたのは兄の影響です。兄と同じことをしたいという気持ちから、幼稚園の頃から始めました。小学校の頃は試合にも出れず、サッカーに行くのがめんどくさい時期もありました。友達と遊んで練習を毎回遅れて行くようなこともありました。
しかしある日、試合が行われ、もちろんベンチスタートだった僕ですが、試合中に隣で砂遊びをしているチームメイトがいました。試合で頑張っている仲間がいる中、隣で遊んでいるのを目にし、イラッとしてしまった僕の一言で、ベンチスタートだった僕のサッカー人生が一変したのです。それは、不意に出てしまった一言でした。「試合中やねんから遊ぶなや!」この一言で監督にアピールできたのか、その出来事から僕は試合に出れるようになり、練習に行くのが楽しみになり人一倍努力するようになりました。

中学校では、サッカー部に入部しました。授業が終わった後の部活が楽しみで、正直、サッカーをしに学校へ通っているようなものでした。笑笑

2年生でトップチームにあがり、初めてのSBで慣れない中、先輩たちに支えられ頑張ることができました。先輩達には色々な舞台に立たせてもらい、それに兄と一緒に試合に出れた時間がとても幸せな時間で、すごくいい経験をさせてもらいました。

高校は県の中でも強豪と言われる、芦屋学園高等学校に入学し、サッカー部に入部しました。入部して1週間、トップチームに合流させてもらい、今までにないハードな練習ばかりでついていくのに必死でした。1年生でインターハイという夏の大会に出させてもらい、神戸広陵戦ではスタメンに抜擢され、すごくいい経験をさせてもらいました。しかし、インターハイが終わってすぐに大きな怪我をしてしまいます。右膝半月板損傷、右膝内側副靭帯損傷。半年間まともにサッカーができませんでした。手術をしなければ治らない怪我だったのですが、手術をすればサッカーができない時間が長くなるので、手術は避け、自然治癒で治して行くことを決めました。なので今でも完全には治っていません。
怪我をしてからはスピードが落ち、動きも制限されるようになりました。ですが、サッカーができる楽しさと幸せさで、そんなものはどうでもよかったのです。ただ、サッカーができればいいという単純な気持ちでした。
しかし、やはり動きが制限される中、少しずつ精神的にもやられていた僕は、徐々にサッカーへの熱が冷めていきました。監督に怒られても、話を聞かず、改善しようともせず、ただこなすだけの毎日に、チームの雰囲気もルーズになってきていたのもきっかけで、監督から「B行きたい奴は言いにこいよ!こっちはチャンピオンシップやってんねん!」と言われ、その言葉でBチーム行きを決意しました。「Bチームで気楽に楽しくやっていれば良いや」という考えでした。しかし、そのような気持ちもすぐになくなり、物凄く後悔しました。「なぜそんなことをしたのだろう」と。高校最後の大会、高校選手権では再びトップチームに上がらせてもらいました。 しかし、試合にはなかなか出ることが出来ず、ベスト16で最後の大会も幕を閉じました。その時は、悔し涙も出ず、只々自分に呆れました。こうして、高校3年間のサッカー人生が幕を閉じました。

大学では、僕が所属していた芦屋学園高等学校と繋がっている芦屋大学に入学し、サッカー部に入部しました。入部してすぐ、バサラマインツのセレクションの話があり、海外には高校の時から興味があったので、セレクションを受けました。バサラマインツのセレクションに受かったことを機に、大学を休学、休部し、ドイツに行くことを決めました。もちろん生半可な気持ちではなく、プロを目指すためです。両親にもいろいろと迷惑をかけました。
いろんな方々からの支えがあり、今こうして、ドイツでプレーできることを心から嬉しく思います。まだスタートラインに立っただけにすぎませんが、ここから這い上がっていきますので、応援よろしくお願いします!

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