BASARA MAINZ

苦境を乗り越え最高の年に〜藤永兼世〜

2022.09.10

苦境を乗り越え最高の年に〜藤永兼世〜

この度、ブログを書かせていただくことになりました藤永兼世です。

今回のブログでは、軽い自己紹介とドイツでの三年間を振り返りつつこれからの展望について書いていきたいと思います。

最後まで読んでいただけると嬉しいです!

まずは軽い自己紹介から始めさせていただきます。
現在19歳、埼玉県出身のお笑いとゲームが大好き藤永兼世です!
サッカーは小学4年生のときに親友の一人に誘われたことがきっかけで地元の少年団で始めました。中学校はクラブに所属、そのクラブのチームメイトの一人がアメリカに留学したことに感化され、自分も高校生になったら海外に行きたいと思い渡独。高校三年間はドイツのユースチームでサッカーに励んでまいりました。今まで数々の選手を5部、4部へと輩出している監督とコーチである、山下さんと奥田さんのもとで指導を受け成長したいと思い、今季バサラマインツに所属致しました。

夢はチャンピオンズリーグ優勝です。色々なチームが優勝し、優勝カップを掲げているところや嬉し泣きをしているところ見て、単純に「かっこいい、俺も世界一になりたい」と思えたのがきっかけです。そのためにヨーロッパでサッカーを学び、プロになることが最善の道だと思い、父の勧めもあってドイツに来ました。ドイツではブンデスリーガ1部まで行くことが目標であり、それに向かって日々精進しています。

中学生時代の藤永選手

ここからはドイツでの三年間を振り返っていきたいと思います。

一年目。高校一年生の年ではゴンセンハイムU-17に所属しサッカーに打ち込んでいました。最初の半年間は何もかもが初めてで、練習に行くトラムに乗るだけでも緊張していたのを今でも覚えています。ドイツ語がよく分からないため、コーチとの意思疎通がうまく図れず、練習と試合では注意されっぱなしの半年でした。本当にあっという間の半シーズンでした。そして、残りの半シーズンが始まるという時に“コロナ”が世界中に広まっていきました。その当時はコロナに関する情報が皆無だったので、サッカーの練習•試合は一時中断、通っていた語学学校も閉鎖となり、何も出来なくなってしまいました。当時一緒に住んでいた母と一時帰国を決断し、父の実家に三ヶ月間居候していました。その期間は、自分の課題でもあったフィジカルの強化に励んでいました。何段階も強くなってドイツに帰ってやるという強い思いを胸に頑張っていました。本当に不安でサッカーが出来ず悲しかったのを覚えています。

ゴンセンハイムU17所属時

そして二年目、コロナが少し落ち着き始めドイツでもサッカーが再開するという話を聞き、再びドイツに戻ってきました。チームも新しく変え、ブレッチェンハイムU-19に所属しました。普通にサッカーが出来る喜びを噛み締めながら、上手くなるため日々サッカーの練習に励んでいました。一年目と違い、ドイツ語が多少わかるようになっきていたので、チームメイトとの会話も少しずつ増えサッカーに対する理解もとても深められた半シーズンになりました。しかし、残り半シーズンもこの調子でサッカーが出来ると思っていた矢先に、ドイツ国内のコロナ感染者が急増。再びサッカーが出来ない状況になってしまいました。チームから出されたトレーニングはあったものの、ボールに触れない期間が約半年間続きました。一年目同様、フィジカルの強化と僕らアマチュアはサッカーが出来ないものの、プロの試合は行われていたので自分と同じポジションの選手の動きを勉強したりと、その当時できることに全力で取り組んでいました。二年目は不思議なことに不安よりもワクワクが勝っていました。早くサッカーが出来ないかとソワソワしていました。

ブレッチェンハイムU19所属時

三年目、コロナが少し落ち着き始め、ワクチンをどんどん普及していきサッカーが出来るようになりました。この年もブレッチェンハイムU-19でサッカーをすることにしました。
三年目ということもあり、コーチの言っていることもサッカーに関してはある程度理解できるようになり、一年、二年目とは異なり試合にも安定して出場出来るようになりました。このまま今シーズンは全試合に出場し、上手くなってやるんだと思っていた矢先、公式戦2戦目で前十字靭帯と半月板の損傷を負う怪我をしてしまい手術を行いました。現在まで約9ヶ月間試合をしていません。最初の三ヶ月は走ることも出来ず、本当に地味なトレーニングばかりでした。果たして自分はボールが蹴れるようになるのかと毎日不安と焦りで頭がいっぱいでした。それでも地道にトレーニングを重ね五ヶ月目には、ランニングができるようになり、徐々にボールも蹴るようになっていきました。ただインサイドキックでパスをしているだけなのにとても楽しかったのを今でも鮮明に覚えています。今もリハビリに専念し、あと少しでチーム練習に参加できるところまで来ました。できるだけ早く試合に出られるようになって、もっともっと上手くなりたいと思っています。

遼フィジオの元で復帰のためリハビリに専念していた藤永選手

側から見れば最悪の三年間に見えるかもしれませんが、自分はそうは思っていません。この三年間で日本にいては絶対に学べなかったことや経験を得ることが出来たからです。ここからだと思っています!

今の自分の課題はあらゆるスピードだと感じています。実際バサラマインツの練習に徐々に参加していく中でユースの頃よりも一段階特に、判断のスピードと単純なフィジカルのスピードが上がっていると感じました。たとえ予測が当たっていたり、動き出しが良かったりしても、単純なフィジカルのスピードが大人と比べ足りずマイボールにしきれなかったり、詰まってしまったりと勿体無い場面が何個かありました。判断の面では、自分のプレーでボールが奪われなくても少しでも判断が遅れると2手、3手先でボールが奪われてしまうことが何回かありました。これらのことをこの一年でどんどん改善していきたいと思っています。

ユースの時とは違うスピード感を感じ、更に成長する必要性を感じる

その他にもバサラに来て感じたことがあります。それは練習前後のことです。大人の選手たちは練習前にしっかりと個人で準備運動を行い、練習後には居残って自分に足りないものの改善に励んでいるところを見てとても刺激になりました。ユース時代では感じられなかったことです。自分も大怪我を負い、準備の大切さを痛いほど感じました。より良い状態で練習を行えるように、今ではしっかり準備運動に時間をかけています。練習後には自分の体と相談しながら、自分に足りないものや改善したいものに取り組んでいます。この調子で継続していければと思います。

体のケアを怠らない

今シーズンはバサラマインツでより多くの試合に出場し活躍してチームの勝利に貢献できるよう頑張っていきたいと思います!応援宜しくお願い致します!

少し長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!

バサラマインツでは共に戦う選手を募集しています。ご質問等ございましたらお気軽に以下のフォームにまでお問い合わせくださいhttps://forms.gle/cA23sNNPMtYTJ9BZ7

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