BASARA MAINZ

ドイツサッカーで日本人として結果を残す!

2021.02.18

ドイツサッカーで日本人として結果を残す!

初めまして!神奈川県川崎市出身19歳、DFの岡田怜です。

今回は自己紹介ということで、僕のサッカー人生について書こうと思います。

このような文章を書くのは初めてなので、読みにくいかと思いますが、最後まで読んで頂けると嬉しいです。

久保健英選手に評価された小学生時代

僕は幼稚園年中の時に、ベルデSC(サッカー | ベルデスポーツクラブ (verde-sports.com))というクラブでサッカーを始め、小学校からは地元の白山SC(残念ながら現在は解散)というクラブでサッカーをしていました。

サッカーをやっていた祖父、バスケをやっていて足がとても速かった母の遺伝か、当時から足だけは速く区、市、県それぞれの選抜に選んでいただいたり、特に大きな壁にぶつかったりすることはなくサッカーができていました。 

小学2年生くらいの時、家の近くにあるチームに体験練習に行くことになり、そこで現在スペインのリーガ・エスパニョーラに所属のヘタフェCFでプレーする久保建英選手に会いました。練習後に木登りをしていた久保選手から「君まあまあ上手いね」と言われました!(一生の自慢です)

スランプ克服後に高校サッカー強豪校から話をもらう

中学校入学後、和光ユナイテッド川崎FC(和光ユナイテッド川崎FCの活動ブログ (ameblo.jp))という地元のチームに入りましたが、中学2年生の時に、それまでの持ち味であったスピードが通用しなくなり、スランプに陥りました。僕の場合サッカーを辞めたい、サッカーを楽しめないというのではなく、当たり前のことですが、周りのみんなのフィジカルが強くなり、ただ単にスピードだけで勝負出来ていた小学生のサッカーとの違いを痛感しました。

自分の楽観的な性格からなのか、または久保選手から言われた言葉が後押ししたのか、ネガティブな気持ちにはそれほどならず、ただ単にサッカーが上手くなりたいという気持ちだけで、半年ほど改善が見られない中でも黙々と練習に取り組めていました。

ある時、当時和光ユナイテッド川崎FCで教えてもらっていた秋元コーチに利き足ではない、左足でドリブルをしてみたら?とアドバイスを受け、それを日々練習でやってみると、段々と相手を抜けるようになっていき、それが同時に左足のキックの精度向上にも繋がりました。

この時にスランプを経験し、技術面を磨けたことは、今の僕にとってとても大事な経験になっています。

その後、中学3年生の夏の大会で日本大学藤沢高校から声をかけてもらいました。まさかそんな所から声がかかるなんて思ってもいなかったので、とても驚き、嬉しかったです。

そこで今でも僕が大事にしていることに気が付きました。

それは「いつどこで誰が自分のことを見ているかわからない」ということです。

スランプに陥った後も、腐らずにいつも前向きに取り組んだこと、そして毎回の練習や試合で常に100%でプレーしてきたことは、とても大切なことだったのだと気付きました。

全国高校サッカー選手権大会に主力選手として出場

日本大学藤沢高校に進学し、サッカーはもちろん、一人の人間としてもとても成長することができました。当時の日本大学藤沢高校の監督である佐藤輝勝監督には、サッカーの技術面だけでなく、人間として大切なことをたくさん教えてもらいました。

その中でも特に印象深かったのは、試合に出ることができない時の立ち振る舞いです。

試合に出れないからといって練習をテキトーにこなしたり、チームにマイナスになる発言をしたりする。

それは集団スポーツをやる上であってはならないことだと思いますし、例えその後自分が試合に出れたとしても応援されることはないと思います。

試合に出れない時に、自分とポジションがかぶる選手の為にどれだけ動けるかで、人間性が分かると学びました。スタメンの選手の練習になるように、相手チームの選手の特徴を分析し、敵選手になりきって練習に参加する。自分にとって悔しいことですが、それがチームの為になる。そして、そこで全力でプレーすることによってもしかすると、将来自分にも可能性があるかもしれない。

常に100%というのは、サッカーの技術面だけでなく、サッカーに取り組む姿勢も含まれるのだと学びました。

そのおかげで、3年生の時には主力としてプレーすることができ、小さい頃からの夢であった全国高校サッカー選手権大会に出場することができました。家族も僕の夢をずっと応援してくれていたので、出場した時には大喜びしてくれ、それが僕にとって一番嬉しかったです。

正直全国大会でのプレー、結果は満足のいくものではなかったですが、高校3年間で得たものは僕の人生の中で一番多く濃い経験です。

ドイツで結果を残せるサッカー選手になる為に

さて、なぜ僕が高校卒業後、海外に挑戦したかというとJリーグではなく、海外でプロサッカー選手になりたい思いました。

まず、なぜプロになりたいのかは主にこの2つの理由からです。

  1. 好きなことをしてお金をもらえる
  2. やるからには上を目指したい

ドイツへ来たのも、より高いレベルで挑戦したいと思ったからです。

日本でプレーしていた時、特にこれといって大きな挫折はなく、選手権大会にも主力として出場し、自分はある程度通用すると思っていました。

ドイツで成功することに100%自信があるとは言えませんが、だからこそドイツで自分がどれくらいのレベルなのか試してみたいというのが本音です。

これからのサッカーの技術以外の課題としてまずは,

  • ドイツ語の習得

これまで何度かドイツ人選手と話をしましたが、僕のレベルはまだなんとかコミュニケーションが図れているという段階です。自分がピッチ上で良いパフォーマンスをした時には分かりやすいぐらい、コミュニケーションがスムーズにいった時があり、机上での勉強とサッカーのパフォーマンスは、コミュニケーションのツールとしてどちらも欠けてはいけないと痛感しました。

僕は実はかなりのインドア派でゲームをしたり、バラエティを見たりするのが大好きです。それらの誘惑に負けずに、勉強する時間をしっかりと決め、無駄な時間を作らないように心がけていきます。

  • フィジカルの向上

フィジカル の面では少し不安があり、ドイツサッカーはフィジカルが強く、切り替えが早いため、それに対応するためには今のままではいけないと思っています。

このコロナ規制で全体練習が出来ない今がチャンスだと思っており、個人でフィジカルトレーニングを中心にやっていますが、正直とてもきつく、本当に嫌です。やりたくないです。

ですが途中で力を抜いたり、やめたりするのは簡単でも、それでは自分の為になりません。しっかりと今頑張れば今後の自分に返ってくると思ってこれからも頑張りたいと思います。

FCバサラマインツでは、

1試合でも多く試合に絡み、自分の得意なサイドバックでスピードを活かしたプレーで、守備はもちろん、得点やアシストで貢献し結果にこだわってやっていきたいです。

何よりも全力でサッカーを楽しむことを忘れずに、そして、今サッカーが出来ている事に感謝し、応援してくれる家族、サポートしてくれている人達に恩返しが出来るように頑張ろうと思います。

僕のサッカー人生は平凡で、もしかすると楽観的に考えすぎていると思われるかもしれません。ただし、チャンスがある限り自分の力を試してみたいというのが、本心です。

高校生の時に実感したように、常に100%全力でプレーしていたら、その頑張りを評価してくれる可能性がある、そして、やらなかった後悔をしたくない、という気持ちが今の僕を突き動かしています。

何より、久保建英選手に「君まあまあ上手いね」と言われたことを胸に、自信を持って頑張りたいと思います。

長くなりましたが読んでいただきありがとうございました。

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