BASARA MAINZ

新加入選手自己紹介ブログ 西田選手編

2020.03.12

新加入選手自己紹介ブログ 西田選手編

はじめまして!西田隼です。今日は僕のサッカー人生について書いていこうと思います!
僕は3歳の頃から、地元の龍野FCというクラブに入ってサッカーしていました。本当にサッカーが大好きで、家の前でボール蹴ったりして、母によく叱られました。僕が一番最初に好きになったサッカー選手は、元フランス代表のジダン選手です。ジダン選手といえばあのマルセイユルーレットや、ボレーシュートが一番印象的です。それに惹かれ、僕は父とよくグラウンドで何度も何度も練習したのを今でも鮮明に覚えています。あの頃は無意識に上手くなりたいと思っていて、時間を気にせず練習していました。父がキーパーをやっていたのでよくボールを取りにいかせてましたけどね。(笑)
しかし、小学生になって急激にサッカーの時間が無くなりました。毎回学校の時間を都合に遅刻して、チームの練習時間はたったの30分〜40分です。それでも僕はサッカーを楽しんでいました。そして小学5年生の頃、大きな決断をしました。その頃、テニスやヴァイオリン、塾など様々な習い事をしていました。一番時間を割いていたのはテニスです。自分は当時、あまり素直に気持ちを伝えることが出来ずにいました。今だから言えますけど、本当はテニスが好きじゃなかったんです。理由は単純で、個人スポーツだからです。その事を親に結果的に伝え、テニスをやめました。それでも経験としてやって良かったと思っています。
中学校は親元を離れ、九州の鹿児島育英館中学校に入学しました。ここで今までの生活が一変します。今まで母がやっていた、洗濯物や掃除を全部自分でやらなくてはいけない環境になりました。また先生や先輩から礼儀作法を一から学びました。学校の規則が厳しく、よく部屋で泣き叫んでいました。笑 ここで話を戻します。中学生になって何度も挫折を味わいました。試合に出られないということです。当時監督からセンターバックをやってみろと言われました。そこで僕は開花して試合に出られるようになりましたが、結果的にメンバーに入ることが出来ませんでした。サッカーを楽しむことが出来なくなっていました。しかし、そこである言葉が自分の胸に刻みました。「努力」です。自分で言うのも自慢に聞こえるかもしれませんが、この中学校3年間、全てサッカーに注ぎました。誰よりも努力しました。誰よりも走りました。誰よりも泣きました。そこで卒部式の時に監督からつけられた名前が「チーム1の努力家」です。正直嬉しかったです。また、ここで感じたことは、親のありがたみです。「いつも支えてくれてありがとう。産んでくれてありがとう」と親と面と向かって言えるようにまでなり、人としても成長しました。
高校になっても親元を離れ、静岡の藤枝明誠高等学校に入学し、サッカー部に入部しました。またもやここで挫折を味わいます。今でもびっくりですが、自分が高校3年時、全部員数は267名いました。勿論全国から来ており、技術面で優れている選手が山ほどいました。精神的にも追い込まれそうになりました。ここで初心に戻りました。「サッカーを全力で楽しむこと。」それが僕の全てでした。何もかも楽しみました。上手い選手の技術を盗んで楽しみ、きついトレーニングでも笑って楽しみ、何よりプレーする事を楽しみました。自分でも気付かないうちにサッカーが上手くなりました。選手権メンバーにはかないませんでしたが、後悔は全く無いです。でも、プロサッカー選手になりたいという夢は変わりません。
今、日本を離れてドイツに渡り、バサラマインツに入団しています。自分自身もまだスタートライン立ったばかりです。
今こうやって書いてきましたが、やっぱり最終的には「親」なんです。「親」の存在を無くしてはここまで来れません。感謝しています。
勿論今まで会ってきた仲間への感謝の心を忘れずに、まだまだ未熟ですが、人間性と共に成長した姿をプレーで見せられるように頑張りますので、今後とも応援よろしくお願いします。

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